イビサ島
バレアレス諸島におけるイビサ島(青)
所在地 スペイン
所在海域地中海、バレアレス海
所属諸島バレアレス諸島(ピティウザス諸島)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度55分 東経1度26分 / 北緯38.917度 東経1.433度 / 38.917; 1.433
イビサ島(スペイン語: Ibiza [i?βiθa]、カタルーニャ語: Eivissa [?j?vis?])は、地中海西部のバレアレス諸島にある島。スペイン・バレンシアの東約80kmに位置する。行政的にはスペインの自治州であるバレアレス諸島州に属し、バレアレス諸島の中で3番目に面積が大きい。正式名称は、カタルーニャ語表記のEivissa(アイヴィーサ)である。この名前はフェニキア語「Yibosim」に由来する。日本ではイビザ島表記も多い。
ハウスやテクノなどのダンス・ミュージックや、世界遺産で知られ、多くの旅行者の寄港地になっている。近年は、大資本による大型観光施設の進出も著しい。 北東に約80kmあまり離れたバレアレス諸島最大のマヨルカ島の1/6の面積だが、ギリシャのミコノス島の5倍以上、マンハッタン島の10倍の大きさである。イビサ島と、その南にあるフォルメンテーラ島、近隣の小島は、バレアレス諸島の中でもピティウザス諸島と呼ばれている。イビサ島とフォルメンテーラ島の両島周辺の塩類平原は1993年にラムサール条約登録地となった[1]。また、島周辺の海域にはポシドニア属
地理
中心都市は島の南部沿岸にあるアイヴィーサ。島の北部はやや複雑な海岸線を有しており、比較的湾が多く、山が海岸付近まで迫っているところもある。島の北東と南西に山地があるが、中央部東西は比較的なだらかな地形である。最高地点は西部山地のサ・タライアッサ山(スペイン語版)(標高475m)である。 紀元前654年、フェニキア人がこの島に港を建設し、エジプトの舞踊の神ベスに因んで「Ibossim」としたのが始まりとされる。後の「Ebusus」としてローマ人に知られていた。ギリシャ人はフォルメンテラ島とともに「松に覆われた島」の意で Πιτυο?σσαι と呼んだ。アッシリアの台頭によりイビサはカルタゴの支配下のフェニキア人植民地となり、染料、塩、ガルム(魚醤の一種)、羊毛などを産した。紀元前400年頃には、島のクイエラム洞窟(Cuieram)はにカルタゴの大地女神タニト(Tanit)の神殿も築かれている。以降、フェニキア人の主要交易航路上にあった。 島の支配は、地中海沿岸地域の支配権の変遷とともに、ローマ帝国やヴァンダル人、ビザンティン帝国、イスラム諸国家、アラゴン王国など、様々な勢力の間でその支配権が争われて来た。スペイン継承戦争を経てブルボン朝に置かれたスペイン王国領となる。18世紀から19世紀にはイギリス海軍によって「Ivica」として知られていた。近世以降スペインは、当初はアラゴン王国、やがてそのアラゴン王国などを統合したスペイン王国が領有して、現在に至っている。 イビサ島が世界中から注目されるのは、戦後、この島がヨーロッパのヒッピー文化の中心となってからである。やがて1980年代終わりに、この島で息づいていたバレアリック
歴史
文化
1990年代を通して、ヨーロッパのクラブカルチャー、ダンスミュージックの中心地として君臨し、最新の音楽流行を求めて、世界中からクラバーたちが押し寄せることとなる。